21~28集
中国のドラマでも最近吹き替えでなく、俳優本人がアフレコをしているケースが増えてきました。このドラマでも主役陣はほとんど自分でアフレコもしているようです。でも、別の人が配音だからこそってこともあるんですよね。老九門の主人公佛爺こと張啓山を演じた陳偉霆は今回出ていないんですが、佛爺の声だけは出てくるんですよね。配音の辺江が今回も参加してるんでこういうことができるわけです。張日山の幻覚の中で会話してたりすると、お~~と思ってしまいます。
さて、今回視聴分も激しく物語が進みました。順序が前後してたり、エピソードがごっそり抜けたりはご容赦を。勘違いや間違いはご指摘ください。
砂漠から黎簇が戻ってから、彼の周囲では一気にいろいろな事態が動き出す。
彼の友人、蘇万のところに届いた荷物からミイラ化した死体が出てくる。荷物の送り状から「呉山居」という送り主を見つけた黎簇は、そこへ潜り込もうとする。
張日山は梁湾が九門に敵対する汪家の人間でないかと疑い、彼女に接近するが、でもなさそうだとわかるとあっさり別れを告げる。しかし、それではすまない梁湾は張日山の周辺を調べ始める。
黎簇と梁湾は、呉山居で行われている「骨董市」に紛れ込む。そこで呉邪の行方を探る霍家の一向につかまりかけたところを呉家の長老呉太太に救われる。呉邪の母であるこの老婦人から孫のように扱われた黎簇は、彼女と張日山から九門について教えられ、彼女が自分に何を期待しているかを感じ取る。
学校に行き、担任に一か月の休学を申請する黎簇。もちろん却下されるのですが、「これまで自分には息をする値打ちもない、死んでも地面がもったいないと思っていた。でも、今僕には僕にしかできないことがあるとわかった。だから、一か月休学します」と宣言して、教室を後にする。
蘇万のところにはさらに大量の荷物が送りつけられていたが、楊好の口利きで倉庫を借りて荷物の中身を確かめることになる。その中には沈瓊親子の名前を刻んだ木像が氷詰めになっていたが、そこから古潼京の砂漠にいた黒毛蛇やしゃべる蛇がうじゃうじゃ出てくる。
梁湾は張日山について彼の家に行くが、彼が自分の周囲を探っていたことに気づく。そして、彼女も九門や1945年の事件について調べ始める。
黎簇たちはさらに蘇万の家に届いた荷物から助けを求める沈瓊のビデオとモンゴルの阿善動酒店の鍵を入手、三人で出発。梁湾も張日山から渡された列車の切符をもって、同じくモンゴルへと向かう。
張日山は、ミャンマー辺境で見つかった大穴を調べに羅雀たちを連れて出かける。そこの地下で張佛爺が古潼京に行く前に準備していたと思われる彫像や廃墟を見つける。
ドラマも半分過ぎ、九門の中での対立、1945年に佛爺に率いられて古潼京に思ってしまう赴いた九門の人々が数もわからないほどに死んでしまった事件が具体的に姿を見せてきています。
こちらへの興味もありますが、呉磊演じる黎簇の圧倒的な主役感がたまりません。彼が次々と襲ってくる難題に立ち向かい成長していく、それに伴って彼の世界だけでなく、蘇万や楊好の世界も広がり成長していく。
秦昊の呉邪も、張銘恩の張日山も物語のキーを握っているのですが、中心にあるのは黎簇で、誰が主役かわからないというようなことにはなってません。
主役というのはこうでなくてはおもしろくありません。巻き込まれたんであれ、なんであれ、主役の意志と行動が話をひっぱらない物語には魅力を感じにくいです。
その点、このドラマは大満足です。
脚本の力ももちろんですが、呉磊を配役したこともよかったと思います。今、この時の呉磊だから無理なく黎簇を演じられていて、やっぱり世阿弥のいう「時分の花」ってことあると感じました。
そして、いよいよ二度目の砂漠行き・・・